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八丈島と黄八丈について

八丈島について


八丈島(はちじょうじま)は伊豆諸島のひとつ、東京本土から南に約280kmの太平洋上にある火山島です。
「ひょっこりひょうたん島」のモデルとしても知られており、八丈富士(西山)と三原山(東山)の
2つの火山があります。面積は山手線の内側とほぼ同じ面積です。
黒潮の影響を受けているため、年間を通して湿潤温暖で「常春の島」と呼ばれます。

黄八丈とは?


八丈島に伝わる草木染の絹織物のことをいいます。
いまは「黄八丈」の名前が有名になりましたが、古くは「八丈絹」といいました。八丈(=約24m)の絹織物のことです。

米が育たないこの島は、年貢として八丈絹を小田原北条家に、北条氏が倒れてからは徳川家に納めました。
黄八丈は将軍の陣羽織などにも使われ、功績を上げた家臣への下賜品としても使われました。
五代将軍綱吉はとくに黄八丈を愛し、わが子のために特別に反物を発注したともいわれています。

時代とともに黄八丈は下げ渡され、享保のころには市販が許され、武士や商家の女性が着るようになりました。
安永になり、歌舞伎「恋娘昔八丈−お駒才三−」という演目が上演され、衣装に黄八丈が使われたことで江戸で黄八丈ブームが起こりました。

その後、太平洋戦争などにより滅亡の危機がありましたが、昭和34年、開業したばかりの「八丈温泉ホテル」が
お土産品として黄八丈製品を置いたところ、観光客に人気を博し、黄八丈再生のきっかけとなりました。

黄八丈年表

できごと
平安ごろ このころには八丈島で絹織物が生産されていた。(伝来の経緯等は不明)
1490年 北条早雲の家来・朝比奈知明が来島。北条家に属するようになり、絹織物を献上。
1590年 北条家が滅亡。八丈島は徳川領となる。
1606年 関ケ原西軍の武将・宇喜多秀家一族が八丈島に島流しとなる。
1680年ごろ 五代将軍綱吉に愛用され、将軍家の衣料として使用される。
京都西陣織が江戸にも出回るようになると、黄八丈は御殿女中(位の高い女中)の衣料となる。
1715年以降 享保ごろになると市販が許され、市民も黄八丈を着るようになる。
1727年 「白子屋事件」が発生。罪人となったお熊が処刑される際、黄八丈の小袖を着ていたことから、この時期黄八丈が不人気になった。
1775年 人形浄瑠璃「恋娘昔八丈」が上演される。(上記の白子屋事件を題材とした演目)
1776年 歌舞伎「恋娘昔八丈」が中村座で上演され、黄八丈人気が再興。
明治以降 全国で税を現金で納めるようになるが、八丈島では献絹が認められた。
1885年 政府の補助で養蚕伝習所が設立されるが、一年で閉鎖。
1889年 高機織機が八丈島に導入され、綾織のさまざまな織柄が増える。
太平洋戦争期 黄八丈の生産は中止され、硫黄島に米軍が上陸すると八丈島への上陸が危惧され島民は強制疎開となる。戦後帰還し、1950年ごろ八丈島の人口は13000人を超えた。
1947年ごろ 細々と養蚕が再開されはじめる。
1948年 「全国織物技術品」に指定される。
1952年 東京都文化財保護委員会より「助成の措置を講ずべき無形文化財」に指定される。これにより、有志による黄八丈技術保存会が結成される。
昭和30年代 八丈島における養蚕が途絶え、以降は八王子等から生糸を購入した。
1959年 八丈温泉ホテルが土産物として黄八丈製品を販売、人気を博す。
1962年 八丈町役場において「黄八丈品質保存会」が発足する。
1967年 10月、「八丈島黄八丈生産組合」が結成される。
1977年 全国的伝統工芸品」に指定され、八丈島で生産される黄八丈のことを「本場黄八丈」と呼ぶようになる。
1984年 山下めゆ氏が「都指定無形文化財」の指定を受ける。
1986年 山下八百子氏が「都指定無形文化財」の指定を受ける。
  峯元勝太・磯崎乙彦共著「本場黄八丈」が発行される。
(出典:峯元勝太・磯崎乙彦共著「本場黄八丈」)

黄八丈の種類

おもな織り柄

黄八丈にはさまざまな織り柄があります。

平織

平織

ツルツルとした手触りと光沢が特徴的です。 黄八丈の平織は粗が目立ちやすく、織り上げるには熟練の技が必要です。

綾織

まるまなこ

織り柄が「丸い目」のように見えることから「まるまなこ」と呼ぶようになったと言われています。

綾織

市松

織るには高度な技術を要することから、八丈島では古来二十歳以上の熟練の織子が織った柄だといわれています。

綾綾

たつみ綾

織りの手順が複雑な織柄で、そのためたつみ綾の反物は他の綾織のものより高価で取引されています。とても難しい織柄です。

染め色

黄八丈には「基本の3色」があります。


本場黄八丈には「黄」「樺(鳶)」「黒」の3つの染めがあります。
八丈絹のなかでも黄色が有名で人気があったことから黄八丈の名前が知られるようになりましたが、
樺(鳶)色の八丈絹を「鳶八丈(とびはちじょう)」、黒の八丈絹を「黒八丈」と呼んだこともありました。

染めはすべて草木染で、乾燥させた草や樹皮を染めに使います。
木の皮を剥がしたりと力仕事が多いので、八丈島では染めは男の仕事、織りは女の仕事とされてきました。
染め色を定着させるために使う灰汁が強アルカリ性で手が荒れやすく、手が荒れていると織りの際糸を痛めるから…という理由もあります。

「黄」「樺(鳶)」「黒」の3色を出すためには20回以上染め汁に漬けます。
その過程で「うぐいす」「ねず」といった色も生まれ、淡く渋い色の反物も生産されています。